初期の腎臓癌からの脳転移・肺転移で末期症状へ(前編)|腎臓がん闘病記

2009年12月10日に初期の腎臓癌が見つかった父。

腎臓の中に納まっているし、初期だから腎臓摘出すれば大丈夫ですよと言っておりそこまで深刻には考えていなかった。

しかし9カ月後の2010年の9月には末期がんと言われた

そして最初の発見から1年3カ月後の2011年の3月に59歳で末期の肺がんの症状で亡くなった
最初から最後まで腎臓癌の症状は全くなかった。
初期と言われていたのになぜこんなことになったのか?

できることはなかったのか?

≪目次≫

-前編-
1、はじめに
2、ガンの種類
3、父の闘病記(経過)
・危篤状態に(3/7)

 

-後編-        ⇒後編はこちらのページ
4、こうすればよかった
5、ガンに効くと言われて試したもの
6、末期がんの症状(肺がん)
7、転移性脳腫瘍の症状
8、まとめ

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1、はじめに

 

父が亡くなってから、こうすればよかった・・・こうしていたら違っていたんじゃないか・・・と悔やまれることが多々あった。

結果的にダメだったけれども第4の治療法と言われる免疫療法を調べ、いくつか試した。

次はこうしようと今言っても仕方ない。

でもどうしても考えてしまう。

亡くなってしまっていては参考にならないと思うかもしれないが、同じ経過をたどらないようという意味で、参考にしていただけたらと思う。

父の闘病記、私たち家族の失敗、そして次誰かが癌になった時はこうしようと考えていることを紹介する。

私は一緒に暮らしていなかったので、大まかな流れだけだが、母から聞いたことをできるだけ書いていく。

2、ガンの種類

 

ステージⅠの腎臓癌

確か4cmで、腎臓内におさまっており、転移などはない

症状はなく、たまたま撮ったレントゲンで見つかった極初期のガン

しかしまれなタイプと言われている、もっとも悪性度の高い『紡錘細胞がん(肉腫様がん)だった。

⇒がんの種類についてはこちらのサイトがわかりやすいです

腎臓癌が肺転移(肺がん)、脳転移、骨転移、肝臓転移を起こした。

 

3、父の闘病記(経過)

 

2009年12月1日

下血して入院。以前にもなった胃憩室だった。これは腫瘍ではない。
けれどこの時撮ったレントゲンに違う物が映り、後日検査することに。

12月10日

なんの検査だったかは分からないが、検査により腎臓がんと判明。現在の病院では難しいので、憩室の治療が終わったら大学病院へ受診しに行くことに。

12月28日

退院したため大学病院の腎臓外来へ受診。
やはりステージIの初期の腎臓癌
肺のレントゲンを撮ると肺に白いカゲが。
年始に肺の先生にみてもらうことに。
結果、肺の影は肺がんではなかった

2010年1月25日

腎臓摘出の準備のため大学病院に入院。

1月28日

腎臓摘出の手術。腎臓内に収まった腎臓癌を念のため腎臓ごと全摘出する内視鏡手術。
完全に腎臓内にあるからそんな心配はいらないと言われていた。
しかし問題が起きた。
腎臓の裏側に、腫瘍から新しく血管が作られていたことに気が付かず、血管の処理をしないまま摘出しようとして出血させてしまった。
おそらくこれで癌が体の中に散らばった
せっかく腎臓内に収まっていて、腎臓ごと取り出したのに、体の中で癌細胞が入った血液をぶちまけた。
これは医療ミスなのか?手術ミス
転移の心配が強くなってきた。
また、当初内視鏡の予定だった手術が開腹に変わり、10時間かかった。
医者が言うには、腎臓に脂肪がついて大きくなっていて内視鏡の穴からは出せなかったと。
本当か?血管を切ってしまったから回復せざるをえなかったのではないか?
突然のこの10時間にもおよぶ手術のせいで、床ずれができて翌日とても痛がっていた。
手術で床ずれができるのは仕方ないものなのか?

1月30日

鼻のチューブもとれて元気に。肩のマッサージをしてあげた。

2月10日

無事に退院しみんなで外食に。
しかし肺に影があってまたレントゲンを撮りに行くことに。

2月26日

検診に行ったが異常なし。
肺への転移もなく経過は順調とのこと。

3月12日

肺に転移していることが分かった。
インターフェロンの注射をすることに。

3月16日

副作用があるインターフェロンを使うため、今日から入院して注射の練習。
特に問題なく退屈して過ごした。

3月17日

インターフェロンの影響で38.8度の熱。

3月18日

今日で退院してあとは自宅でインターフェロンをうつことに。
熱があり。

3月25日

インターフェロンの注射を持って温泉に行こうと言い出した。
元気そうだ。

 

~ここからしばらくは時々熱があるものの体調があり元気に生活~

 

5月15日

父は畑で孫とイチゴ摘み。座っている時間は長いが楽しそうに孫に教えている。

6月7日

レントゲンで癌小さくなっていた。
このままインターフェロン続ければ・・・。

7月24日

実家に集まる予定だったが、父に腹痛があり、集まりはなしに。

 

~このあと記録にないが、スーテントと言う強い薬に変更。体がフラフラしたりする副作用があるとのこと。実際足元がおぼつかずフラフラすることがあり~

 

9月24日

定期検診に行くと脳に浮腫がみられた。
転移の可能性が高いらしく、すぐ入院。
歩行障害が出ていたがスーテントのせいだと思っていたがそうではなかったらしい。

 

9月25日

脳のCTを撮った。白いところが二か所ありそのまわりがむくんでいるとのこと。

月曜にMRIを撮る。

9月26日

左下肢に感覚障害

9月27日

脳外科に移ってMRIを撮り先生から説明。

やはり脳に転移しているとのこと。
医局会議で全部サイバーナイフでとるか、一つは摘出でとるか決めるとのこと。

9月29日

父のいないとこで脳外科の先生から話があった。
脳転移と言うのは末期がんということ余命は平均一年と言われた。
今まで腎臓の先生にかかっていたが末期なんて今初めて聞いた。
この薬がダメなら違う薬にしましょうとのんびりしていたから全く考えもしなかった。
母も私もショックで信じられなかった。
初期だったと思っていたのにいきなり末期とは。

9月30日

泌尿器科の先生を待ち伏せして話をした。
どういうことなのか追及して話を聞くと、薬が効かないすごい悪性の癌だとのこと。
肉腫の組織が混ざったガンだという。
そんな話全く聞いてなかった。
入院しての抗がん剤治療などの話も全くなかったからまさかそんなだとは思わなかった。
抗がん剤が効く癌ではないとのこと。
なぜ家族にまでそんな大事なことを言わなかったのだろう。
以前から検討していた、まだあまりされていない肺へのサイバーナイフについて相談してみた。
薬も効かないから肺へのサイバーナイフをやることには賛成とのこと。

10月4日

脳外科の先生の口利きで、脳へのサイバーナイフと一緒に、肺のサイバーナイフもできることに。
普通は3個までなど決まっているが、そこでは数が多くてもやってくれるとのこと。

10月5日

お見舞いに行くと、手術の準備で頭に印つけていたが、杖で一人で歩いていた。

10月7日

脳腫瘍摘出

10月8日

手術翌日。まだベッドの上だけれどカキフライ食べて元気にしていた。

10月9日

職場の人から免疫治療という第4の治療があることを聞いた。
調べてみると自家がんワクチンという、摘出したがん細胞を使って作るワクチンの存在があることを知り説明会を予約

10月12日

池袋がんクリニックへ母と妹が自家がんワクチンの説明聞きに行った。
頑固な父だが、先生にも「やってみたら?」と言われるとやる気になった。
そんなワクチン信じてないけどみんなのためにすると。

10月14日

癌にいいと言われるアガリクス(ABPC-EX)を購入。
もう標準治療だけではどうにもできない。
いいと言われる物をなんでも試してみることに。

10月27日

頭・肺へのサイバーナイフをした。
暇で暇で帰りたいという。
サイバーナイフ自体はつらいものではなさそうだ。

10月28日

11月10日に退院できることに決定

11月10日

サイバーナイフで脳と肺のガンを全部消して終了し退院

12月9日

自家がんワクチン検査へ

12月10日

運転の得意な父が、高速で縁石にこすったという。

12月13日

今度は高級車にぶつけた。信号でもやたら手前で止まるとのこと。
右足しびれあり明日受診することに。

12月14日

また脳への転移が見つかった。
22日にサイバーナイフを受けることになった。

12月18日 インターフェロンの注射のせいでまたおかしい。

12月22日 サイバーナイフを実施

2011年1月1日

実家に集まった。
朝初詣に行ったが、そのあとから体調よくないらしい。

1月3日 大型ディスカウントショップ内を散歩

1月8日

3回目の自家がんワクチンを打った(12月中に1回目と2回目実施)。
リンパ球を増やす免疫療法もやった方が効果的だからと父に勧めるが、やらないという。

1月10日 元気がないので孫が行って元気付ける刺激セラピー

1月20日 インターフェロンの注射をする日じゃないないのに熱が出ているとのこと。

1月21日
肺がんが大きくなり、危険な状態になるかもとの説明
脳にもまた二つできていた。
日帰りでサイバーナイフを受けるの予定。

1月22日 実家に行くと青白い顔で寝ている

1月25日

もう数か月の命だと凹んででいる。
注射をするからと言っているのにちゃんと準備をしていないと母は怒っている。
最初はかわいそうだと思って看病していたが、看病の大変さと、わがままになっていく父に、母もイライラしだしたようだ。

2月1日

車で20分くらいのところにある航空記念公園(大きな公園)に私も一緒に行き、少し歩いた。
介助すればすたすた歩くが息苦しく距離が短い

2月2日 職場でもらった福祉カタログ持って実家へ。四点杖などの説明をした。

2月4日

介護認定調査。母は全く知らなかったが、私の職種上こういうのを分かっていたため、手すり等つけてもらうため介護認定を受けるように伝えていた。
60歳になってなくても、ガンの末期の場合は介護認定を受けることができる。
体調に波があって同じことでもできる日とできない日がある。
認定調査の時にもしできそうでも、できない時のようにできない演技をしないとそんなに悪くないと判断されちゃうからね!なんて言っていたけど、この日は本当に調子が悪かったらしい。

2月5日

みんなで航空記念公園へ。しかしこの日は胸が痛くて息も苦しいとのことでずっと車椅子

2月6日

今日も体調が悪いらしい。

2月8日

今日は元気みたいで孫のお遊戯会のビデオを見せた。

2月9日

布団からの寝起きが大変になってきたのでベッドを買ったらしい。
市販の折り畳みベッドだ。

2月14日

理学療法士の私がリハビリスケジュールを作り、届けに行った。
エルゴメーター(歩行マシーン)で0.3m/sで45秒歩けた
あと棒体操で体のストレッチを行ってもらった。

2月15日

お父さんのリハビリ順調。
朝と夕方の二回、0.5m/sで2分ずつ歩いているという。

2月16日

昨夜咳と熱で眠れなかったらしけど、夕方には元気になりリハビリを行ったという。

2月17日

実家にリハビリをしに行った。
少しリハビリしたけど、脈が速くて苦しそう。
酸素飽和度を測ると98~99%くらいあったが、それでも苦しいようだ。
座椅子で寝てるから風邪ひいたと母怒っていた。

2月18日

私が朝から胃が痛い。仕事中もけっこう痛くて、午後から体が痛くなり、夜には39.7度まで上がった。
母に「毎日きてくれてストレスで体が疲れてるんだよ。子供のこともあるし。お父さんもちゃんとお母さんの言うこと聞いてリハビリするから心配しないで休みな」と言われた。

2月19日

私は熱は下がったがまだ胃が痛くてお腹が下っている。
父は初めて自分からストレッチを始めたらしい。
私に心配かけちゃいけないと思ったのか?

2月20日

今のリハビリプログラムではきつそうなため、もう少し楽なものに作り直した。

2月21日

夕方から右手のむくみと首の痛みがでた。
熱もあって血圧もやや高め
どうしたのだろう。

2月22日

あまり動かず、寝たり座ったりしている時間が長いからか腰が痛いらしくマッサージしに行った。
この頃から1歳の子供のママ、ママがひどくなった。
夜いつも私が実家に行ってしまって、パパとお留守番しているから不安定になっている様子。
母からは子供がおかしくなっても困るから無理しないようにと言われた。

2月23日

今日受診しに行ったついでに、久しぶりに航空記念公園で少し歩いたらしい。
今日は割と元気で、家に帰ってきてからも自主トレーニングもしたらしい。

2月25日 肝臓と骨に転移していることが分かった。

2月27日
最近寝ぼけてるのかせん妄なのか、おかしなことを言うらしい。
うわごとの時もあるけど、直接話しかけてくるけど内容がおかしいことが。
脳のガンが影響しているのだろうか。

2月28日

腎臓の先生と話した。
リハビリの話をしたところ、とてもリハビリをするという体調ではないとのこと。
緩和ケアへ移行するか、リスクを伴って新薬をするかという話になった。
本当は新薬をしても無理だろうし、新薬をするような状態ではないのだけれど、大学病院では治療をしないのなら退院しなければいけないからもしよければ可能性にかけて新薬をしませんかをいう先生のはからいだ。
でもその新薬は危険すぎるらしい。家族で話し合いをした。
緩和病棟に入れるか。自宅で看取る覚悟で帰るか。一か八か新薬をするか。
父にはまだ末期だなんて言っていなかった。
精神的に弱そうな父に言ったりしたら絶対に自暴自棄になってさらに家族の言うことを聞かなくなり、治療もリハビリも母が食べさせている健康によい食品も拒否しそうだ。

3月2日

何かどうにか癌によさそうなものはないかインターネットで調べ、フコキサンチンフコイダンという物を見つけ、サンプルを注文。

3月3日

フコキサンチンとフコイダンが合わさったさらによさそうなアポノイドというのも注文。
フコキサンチンとフコイダンのサンプルを試した。
サンプルを試したフコイダンも正式に注文。
高いが、今できることをしないと後悔する。
とにかくよさそうな物をためすことに。
高いけれど、自家がんワクチンの効果がでてくるまでなんとかこれ以上悪化しないようにしてほしい。
自家がんワクチンの効果がでてくれば、微細なガンが消えて行ってくれるはず。

下剤飲んで初めておむつを使った。

3月4日

便秘で大変。おむつしていてて母はつきっきり。
実家に子供も連れていってはいたが、父、母とは別にうちの家族だけ食事をした。
アポノイドがきて飲んだ。

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3月5日 アポノイドのおかげか大量に便でたらしい。

3月6日

明日から入院。
ダイニングへ来ることができず、みんなでリビングへ。
明日入院したら危険な新薬を使う。
家で一緒に食事できるのはこれで最後になるかもしれない。
でも父はそんなことは知らない。
もしかしたら感づいてはいるかもしれないが、末期だとは教えていない。
危険な薬とも伝えていない。
インターフェロンの時のように軽い気持ちで行くだけのつもりでいるのかも知れない。

3月7日

危篤状態に

今日から入院する予定で車へ移動。
けれど、しばらく自宅で寝たきりでいた父には、家の前に停めておいた車への移動だけでもとても負担だったようで、玄関で靴を履く時点でひどい息切れ。
ちょっと待ってくれと言ったらしいが、車は目の前だからと車に乗せて病院へ。
しかし、その途中に吐血
肺に負担がかかり、肺がんから出血したのだ。

車は走りだしていたため、救急車を呼ぶよりそのまま行ってしまった方が早いと判断し入院予定の大学病院へ。
つくと担架で運ばれた。
危篤状態とのことで私の職場にも電話が入った。
こんなことなら仕事を休んで車まで付き添ったりすればよかった。
車に乗り込むことがこんなに体の負担になるとは思わなかった。
そしてこんなにひどい肺の状態だったとは・・・。

職場から駆けつけた。
なんとか少し落ち着いた。
しかしまた夜には二回目の危篤状態に。
でも生命力でなんとか乗り切った。

3月8日

頼みの綱のフコイダンは飲めた。
でも腎臓の薬を飲むとむせてちょっと危険に。
今日は一日大丈夫だった。

3月10日

今日から予定通り新薬を開始
半分の量からだ。
せん妄があり、時々変なことをいうが、体調は落ち着いている。

3月11日

今日は仕事を昼で早退し、父のお見舞いに行こうと思っていたが子供の体調が悪く呼び出され迎えに行った。
すると今度は午後から大地震が。
東日本大震災だ。
うちは子供が体調悪くいけなかったが、妹たちが急いで父の病院へ。
すごく揺れて点滴などもグラングランしていたけれども父は大丈夫とのこと。
病院にいる時でよかった・・・。
すごく揺れはしたが、埼玉なため、特に津波などの心配もなくその後は大丈夫だった。

3月12日

子供を連れて妹のうちにいると、病院にいるもう一人の妹から電話が。
危篤とのこと。
痰が急に詰まって危険な状態とのこと。
3回目の危篤状態
主人に帰ってきてもらい子供を預けて向かうと落ち着いていた。
乗り切ったようだ。

3月13日

明日から計画停電が始まるとのこと。
でも病院にいる父は心配ない。よかった。

3月14日

食べ物は食べてはいけないということはないが、あまり食べられないらしい。
何か買って行くものはないかと聞くと、牛乳が飲みたいと言っているとのこと。
普通なら牛乳なんてすぐ買える。
けれども東日本大震災後の今、物流がストップしてしまいどこにも牛乳が置いていない。
でも飲みたいと言っていた牛乳を飲まずに死なせてしまったりしたら後悔する。
必死に探した。
そして考えたのがマクドナルドの牛乳。
行ってみるとあった。
マクドナルドで、牛乳とアップルパイを買った。
しかし牛乳を飲むとむせてしまい一口でやめた。
アップルパイの中身ならとろみもあるしどうかと思ったが、牛乳のことで父はショックを受け、アップルパイは口にしてくれなかった。

3月15日

病院の父のところへ。
かなり苦しくかわいそう。
左肺が動いておらず、今日にでも危険とのこと。
眠っていることが多いが、急に行き苦しくなりパニックになるのを繰り返している。
詰まっているような感じがするが、吸引でとれるのは気管の届くところまで
その奥に詰まってしまったらもうとることはできない。
自分の力で咳をして出すしかないのだ。
でもそんな力はない。
苦しそうにしている時は呼吸に合わせて胸郭をを押して、呼吸補助をした。
末期の癌患者さんのリハビリなんてしたことなかったけれど、調べてなんとか行った。
少し呼吸がしやすくなるようだ。
また、吐き出すときにバイブレーションをかけながら圧をかけることで、痰があがってきやすくなるという。
理学療法士でよかった。
学校に行かせてもらえた恩返しがこんなことくらいでしかできないけれど、役に立てているのならうれしい。
足の浮腫がひどいので足のマッサージもした。

3月17日

計画停電で3時間真っ暗に。
途中から私だけ父の病院へ。ところどころ信号が消えている。
時々苦しさでパニックになり険しい表情をする父。
モルヒネをするか家族で話し合いになった。

モルヒネをすると覚醒レベルが落ちる。
その分もうろうとするため苦しさの恐怖からは解放される。
けれど、呼吸する力も落ちるから、今度つまりかけたらそのまま呼吸が止まるかも知れないと言われた。

けれどももう薬も飲めない。私が買ったフコイダンなども飲めない
なんの治療もしていない状態で、その時がくるまで、ただただ苦しさと恐怖の中生きている感じだ。

あまりにかわいそうで見ていられなかった。
もう治ることはなく時間の問題だというのなら、数日早まったとしてもお父さんを苦しみから救ってあげたかった。
モルヒネの危険なのはわかっていた。
でも肺がんの末期の息ができなくなる苦しさで、パニックになり、恐怖の表情をしている父を見ていられなかった。

家族で話し合いモルヒネを使うことにした。

3月18日

モルヒネを開始した。
開始したら24時間で亡くなる可能性もあるとのことで仕事を半日で早退し、夜中は病院へ泊まった。
けれども効いていないのか目が覚めている。
そして時々苦しくなりパニック状態になることが続いている。

3月19日

先生はこれ以上は危険だからモルヒネは増やせないという。
でも全然変わっておらず苦しそうだ。

3月22日

震災によるガソリン不足でお見舞いに行く時暖房も付けずにガソリンを節約して走っていたが、なんとか今日、並んで入れることができた。これでお見舞いにも安心して行ける。
今日は父の調子が良く、帰りに手を振ってくれた
あれ?よくなってきてる?

3月23日

今日採血をしていた。状態も落ち着いてきているし、採血もしていたので、よければまた新薬をするのかと聞いてみると、見た目は良く見えても体の中は悪くなってると言われた。
昨日の夜は一回しか起きなかったのに。
モルヒネで落ち着いているだけのようだ。

3月25日

私が病院へ行くと、母はお風呂に入りに一旦家へ帰った。
ずっと付きっきりでいるからね。
父は落ち着いている。恐怖に怯えた顔でパニックになることもない。
けれどほとんど反応がない。
でも苦しくないからこれでいいんだよね。
父のためだけれどもモルヒネをしなかったらもしかしたら・・・という気持ちもぬぐえない。
でも先生もよくなっているように見えても体の中は悪くなってるって言ってたし・・・。
これでいいんだよね?

3月26日

付き添いの母と妹が、地下の売店へ昼ご飯を買いに行った一瞬の間に呼吸が止まり、血圧が85に下がったらしい。危篤4回目
急いで駆け付けるともとに戻っていた。
今回もなんとか復活!
でも病院に泊まった。

3月27日

大丈夫そうなので10時過ぎに帰った。
するとまた危篤の電話。
危篤5回目
病院へかけつけると呼吸数48、血圧低いが戻った。
一時期は呼吸数10まで下がって、2回痙攣したとのこと。
落ち着いたので22:30には家に戻った。

3月28日

明け方呼吸が止まったとの電話が来た。
止まってからは2~3分で亡くなったとのことで間に合わず。
悲しい気持ちもあったけれど、これで楽になれたねお父さん、よく頑張ったねという気持ちの方が大きかった。
いい顔をして眠っていた。

 

4、もっとこうすればよかった

 

初期のガンで、なんの症状もなく見つかった腎臓ガン。
そこまでは不幸中の幸いだった。

誰もが治ると思っていた。
先生も、早く見つかってよかってですねというようなみたいな感じで深刻ではなかった。

なぜこんなことになってしまったのか。

 

長くなったので続きは次のページで

 

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